思川のご紹介

   思川区は新潟県南魚沼市で魚野川西岸の山沿いにある戸数60戸ほどの小さな集落です。

思川の画像

      諏訪神社               秋葉神社                  白山神社

諏訪神社 秋葉神社 白山神社

思川の成り立ち

  平凡社の日本歴史地名第一五巻「新潟県の地名」に以下の記述がある。
  
  思川村 (現・塩沢町思川)
     鎌倉沢川を挟んで吉里村の北にある。北は小栗山村(現六日町)、東は思川新田。
     正保国絵図に「思川村」高二百九十石余。天和三年郷帳では高110石四斗余。
     宝暦五年(1755)の村明細帳(小千谷市立図書館蔵)では田六町三反余・畑三町三反余。
     家数二十六、男七十一・女六十三、牛一・馬十八。
     北の字山之腰に曹洞宗天昌寺がある。本尊釈迦如来。寺伝によると、もと実際庵と称し、泰澄昨の正観音を本尊としたという。
     延徳二年(1490)雲洞庵七世禅実を開山として寺号を改めた。正観音は境内の観音堂に安置するという。
     隣接して白山神社、他に諏訪神社と秋葉神社がある。秋葉神社では7月一八日の祭日に篝火を焚き、火伏祭りが行われる。
     「南魚沼郡誌」によると、北東方に室町時代の築城法によって築かれたと思われる石塁があり、
     付近の荒蕪地から枯骨が発掘され、文政年間(1818−30)半ばには多量の古銭も発掘され、この古銭で仏像を鋳造したとの伝えを記す。
     さらに嘉永六年(1853)には文保二年(1318)三月と紀銘した墓石の断片も発掘されたと伝える。
      (注)正保:1645〜1648年、天和:1681〜1684年

  文中の泰澄 (たいちょう)とは奈良中期の山岳修行者で,白山の開山者と伝えられる行者。
  当集落の白山神社は天昌寺の正観音と同時に開かれたものと言われています。

思川の地名由来について

  思川という地名について、当集落の記述は見つからなかったが、栃木県小山市にある思川についての記述があった。
  それによると、この地名はその近くを流れる「思川」という名前の川によるものと言われている。
  全国で「思川」という名前の川が7つ(山形〔2つあり〕、栃木、新潟、滋賀、鹿児島、福岡)はあるようで
  このうち 新潟県十日町市を流れる信濃川水系の一級河川の思川が位置的に一番近くであり我集落も関連が推測される。
  さらに、小山市にある「思川」の名の由来については、「田心姫命」がその由来であるという説がある。

『さあ、思川へ行こう!』(小山市立博物館/編 小山市立博物館 2004) コラム「思川と伝説」より
   「(前略)もう一つの伝説は、寒川の胸形(むなかた)神社にまつわる物語です。
   この神社では、神様として田心姫命(たごりひめのみこと)を祀っていますが、この神様は水に縁のある女神なのです。
   そこで稲の豊作を祈る村人たちは、近くを流れる川の恵みの大きさをたたえて、
   田心姫の名前にある田心の二字を一字に縮めて、その名を思川とよぶようになったというのです。」

田心姫命(田心姫神などとも記す)(『日本の神仏の辞典』(大島建彦ほか/編 大修館書店)より)
  「たごりひめのみこと 【田心姫命・田凝比当ス】
 『日本書紀』巻一に所出。天照大神と素戔嗚尊の誓約で生まれた神。田心姫神とも。
 (1)天照大神が素戔嗚尊の十握剣を三段に折り天真名井にふり濯いで噛み砕いて噴き出した息吹に生まれた神、
 (2)天照大神が御自身の八握剣を食べて生まれた神、
 (3)素戔嗚尊の八坂瓊之曲玉を天真名井に浮かべて瓊の中程をくい千切って噴き出した息吹に生まれた神、とする。
 『延喜式』所出の筑前国宗像神社三座の祭神。」
 また、湍津姫命(たぎつひめのみこと),市杵嶋姫命(いちきしまひめのみこと)と共に「胸形大神(むなかたのおおかみ)」
 と総称されています。 この三女神は、厳島神社をはじめ八幡宮・水神社の祭神に多いともあります。
 

このページを閉じる

inserted by FC2 system